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2019.05.15 Wednesday

祈り

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    叔母の葬式の中で気がついた。

     

    叔母は熱心なカトリックのクリスチャンでその葬儀もミサ形式で行われた。

    ミサはカトリックの祭儀で『聖体拝領 』を中心に組み立てられていると思う。

    『聖体拝領(せいたいはいりょう) 』はパンと葡萄酒をキリストの身体としていただく儀式のこと。

     

    信者(洗礼を受けた者)は神父からパンを戴いた後、席に戻って静かに「お祈り」をする。

    「お祈り」は神と対峙し自分を顧みたりする時間であると思うが、その実は霊的な糧を得る時でもある。

     

    「霊的な糧」と書いたが私は神と一体になる試みだと解釈している。

     

     

    小学校の高学年から中学生まで、日曜日になるとカトリック教会に通っていた。

    日曜学校に入っていたのだ。そこでは聖書をこどもにたちに解るように教えていたと思うが、

    私は讃美歌を大声で歌うのが好きで通っていたので、内容はほとんど覚えていない。

    (結局、洗礼を受けなかったので私は信者でない)

     

    日曜学校が終わると大人といっしょにミサに出た。

    なぜだか『聖体拝領 』の後の静寂なときが好きだった。

    「お祈り」するフリをしていた。というより何を「お祈り」していいのか解らなかった。

     

    20代後半にメキシコに旅した。

    そのとき安息を求めて教会に入った。そこにいると異邦人としての緊張が解けたのだ。

    教会で十字架の前にひざまずき「お祈り」をした。

    「神様、お守りください」

     

     

    その後は仏教に興味が湧いた。

    仏教の中では『禅宗』が自分には一番合っていると感じている。

    『禅』では「座禅」がその神髄だろう。そのため「ただひたすら座る」の実践をいつかと念じていた。

    念じていたが、いつまでもなかなか実践できない自分に苛立ったりあきらめたり・・・

     

    そして叔母の葬儀で気がついたのだ。

    「お祈り」も「ただひたすら座る」もその姿勢によっては同質なものに昇華できるのではないかと。

    (”違う”という意見もあることは承知だ)

     

    ヨーロッパの中世、どこかの修道院の神父が「祈り」について徹底的に考え実践した教義があった、と記憶している。

    詳しいことは覚えていないが、古今東西人間にとって「瞑想」の重要性は同じなのだと思う。

     

    「お祈り」の時間を持とう。

    「座禅」したことはないが「お祈り」は子供のころから実践していたのだ。

    叔母からの贈り物として「祈り」を復活する。

     

     

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