藤森照信の茶室 | 20:10 |
「藤森照信」ってご存知ですか? 変わった人ですよー。
近代を得意とする建築史家です。建築家でもあるのですが、「路上観察学会」をやってる人といった方が解りやすいかもしれません。「路上観察学会」というのは赤瀬川原平や南伸坊も参加している「面白考現学(おもしろこうげんがく)」と私は位置付けています。
その藤森氏が「茶室」を解剖したのが、最近出版された「藤森照信の茶室学」という本です。
お茶の世界は、怖いもの見たさも手伝って興味があるのですが、「利休」の数奇な運命も興味がありました。
利休の作った「待庵」は、有名ですよね。あの極小空間(2畳)は「なぜ作られたのか」をその本の中で藤森流に解いていくところが面白かったです。
あの国宝になっている建築は、もともと戦場にあったボロ寺を突貫工事で「茶室」に仕立てた、と推理しているのです。
信長の戦地に「茶室」を作った、それが移され、ついには国宝にまでなってしまった、というのです。
戦地ゆえ物資が乏しく、現地にある素材と既設のお堂をうまく利用しながら、利休のアイデアと美学によって急場こしらえながら簡素で美しい空間が生まれたのが後の「待庵」になるのです。
ある意味、有事において時間もなし・保護もなしの制限された空間で、精神が研ぎ済ませれて余分なものが落とされ、落として、最後に残ったものが「わび・さび」の境地に至ったのかもしれませんね。
それを藤森氏は学術用語「ブリコラージュ」と呼んでいます。
ブリコラージュは、もともとは「修繕」とか「寄せ集め」とか「細工もの」といった意味ですが、「ありあわせの素材・再利用・荒い仕上げ・現場のデザイン」の総体が「待庵」になってしまったのを、藤森氏は学者ですねぇ 偉大な文化人類学者「レヴィ=ストロース」まで持ち出してまで現代語に置き換えていますよ。
まさに藤森氏は、専門の学者資質と野生の気質がミックスされた人なのです。
氏の作る建物は、変わっていますよ。原始的というか、奇想天外というか、それでいて歴史的に見て位置付けを自身でやってしまうニクイ仕事です。
いくつか写真をアップしてみましょう。
日本の近代の建築家は世界的にみてレベルが高く(磯崎新、丹下健三、安藤忠生、等々)高名な方が幾人も生まれていますが、その中においても藤森氏は特異な存在です。
しかし、こんなおかしなタイプの日本人がいることに、よかったぁ〜と漏らしてしまう私です。
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