くらげのかんづめ その1 | 07:35 |
くらげのかんづめ
「さくらももこ」のエッセイを図書館から借りてきた。ひさびさに読むのだが、これには訳がある。
こうやって一年もブログを書いていると、どうにもネタ不足になってくる。
そこで「さくらももこ」も登場となったのだ。
ワシは「さくらももこ」のエッセイをスゴイと思ってきた。なにげない話を書きながら、読者を最後の一文字まで離さない筆力はただものではない、と感じてきたのだ。
その文体も、そこはかなく笑みを浮かべてしまう。漫画のちびまる子ちゃんを、そのまま文体に移したような話口は、できそうでできない芸当なのだ。(本人がそう感じているかは、知らないが。)
ワシもその文体を、失敬して使ってしまおう。(文章を書くのが少しは楽になるかも知れぬという淡い期待を胸に。あまいか・・・)
ちなみに、ワシが影響を受けた文体は、ほかに詩人の山尾三省さんのエッセイと建築家・中村好文さんの文章となる。山尾さんは哲学的な言葉と詩的な言葉がリズムよく続いていて気持ちがよくて、亡くなるまで彼の著作が出版されるのを心待ちにしていたし、中村さんは建築のことをあちこちに書かれているが、「です。ます。」調の文章は、いつも手本にさせてもらっている。えらい文化人なのだ。
そこにもう一枚加えてのが、この「さくらももこ」だ。彼女も文化人か?う〜ん、まぁいい。そんなこと。
面白いからいいのだ。
もちろん彼女の漫画/挿絵もその魅力だ。ワシもその手を使おうと思ったが無理だった。それを使って少しでもブログを引き伸ばそうと考えたが、無理だった。しかたない。
それから、彼女は少女期の思い出をネタにしているのも見逃せない。自分の思い出話をネタに使うのは、安直に思えて禁じ手のように感じてきたが、それもよしとしてしまおう。
「さくらももこ」がやっていてワシがやってなにが悪い、と開き直ってしまい、はずかしながら解禁にしよう。とほほ。(力量が違うのに・・・)
ところで、息子の学校で「職業学習」の授業の一環で「ギターリペア」の話を15分くらいして欲しいと頼まれた。好きなことを仕事にしていると思われたらしい。(自営業は平日でも休めると思われている嫌いもある。)
好きなことを仕事にしている、と勝手に思われるのは構わないが、そう単純なものではないのだ。自営業は大変なのだ。好きなことばかりやっていたら、喰えなくなるのは自明のことなのに、世間はそうは思わないところが、むつかしい。
しかし、子供に大人の事情を話しては夢もありゃしないので、そこは大人としてポジティブな話をするつもりでいる。そこは大人の責任をちゃんとするのだ。
かみさんにいろんな仕事をして来たのだから、その話の方が面白いんじゃないの、と無責任なことを言われた。
「いろんな仕事」って言われると、俺は「職を転々としてきた人」みたいじゃないか。ギターリペアマンとして信用を得ようとこのブログを書いているのに、読者が「こんな人には修理に出せない」と思われたらどうするのだ。
「職を転々としてきた人」はときどき犯罪者を表現する悪い意味の言葉のように感じる。これがいい意味に変わるのはひとつしかない、有名な文学賞を取って「作家」と呼ばれた時だけだ。好意的な眼で「職を転々としてきて」いろんな事を経験し、人間の滋味を観察してきた人、として評価される時しか使えないのだ。
皆様、ご安心ください。ワシは「木工」を基本にあっちこっち行っているのは本当ですが、根は「職人」ですから。
(うそつけ、アーティストだと思っていたときもあるじゃないか、という声は「わかでのいたり」と弁解しておきます。)
パン喰
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