2013.03.31 Sunday

第17話

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     第17話

    15話・16話で描いたお店の理念の『大風呂敷』はそのままにして、このお店をどうきりもりして行くか、考えてみましょう。
    『経営』についてです。


    私は、どうも商売が苦手で、お金の計算や商売の駆け引きが上手にできません。それでも継続的にお店を維持し、お客様にお店を支持してもらい、喜んでお金を払って頂く為には、しっかりした『経営』はやはり大切です。


    商売で「仕事する姿」を「働く」といいますが、「はたらく」は「傍(はた)」が「楽(らく)」することだと教わったことがあります。「よそ様に喜んでいただく」ことが「働く」に意だと。


    商売してお客さんとお店が、売買行為で「Win Win」の関係で繋がれたら最高ですね。


    お店を経営していくとは、たとえ個人商店においても「手伝う人」が必要になってくるケースがあると思います。スタッフとか従業員とか呼んでいますね。


    本当は個人商店・お店を経営していくには、家族に手伝ってもらうのがベストでしょう。配偶者である妻に「おかみさん」になってもらって「事務・経理」を手伝ってもらう。またはお店に立って接客してもらう。などなど、あるかと思います。


    または、親に補助的な仕事を受け持ってもらう。子供にも店番を手伝ってもらう。こうした選択もあるでしょう。いわゆる『家庭制手工業』というやつです。


    伝統工芸の世界では、こうした形態が多いですが、機械工業化しにくく生産性がよくないため家族内で分業して利益を確保していくやり方です。給料を毎月定額支給することを弾力化できるので、小さい商いには適しています。


    そういうケースでは、土地・家屋を所持していてまた田畑を持っているとさらに強いですね。食べるものを自前で確保できるスペースと時間を持っていると、商売の浮き沈みにも対応しやすいからです。自給自足は精神的にも強くなれますし。つまり、経済を他に依存する度合いを低くできるからです。


    学校では『家庭制手工業』を『工場性手工業』から『工場性機械工業』への過渡期と位置付けられていると習いましたが、本来は国家の生産体制も『家庭制手工業』をベースにしたやり方が、実は未来的であると私は思っています。


    (農業を国家の中心に据えて、エネルギーを他国に依存する率を下げ、仕事と賃金をワークシェアしていく、適材適所を見極めて個人の能力を生かし、「幸せ」をベースに他国と関係結んで地球家族の一員として活動する、など永続可能で未来的な思考でしょ。)


    これを家族以外の他人・スタッフ/従業員に置き換えられるといいのですが、そこが難しさですね。経営者側と雇用される側がどうしても「主従の関係」になりがちですから。


    経営が『理念』に向かって進もうとするとき、「実行」にあたり「指示」が出るので、従う者が必要になると「主従関係」が生まれます。「従う」ものは、目的に向かうためにそういう関係になるだけで精神活動のレベルで主従ではないんですが、雇い主側は、その対価として彼らの生活を支えるべき「賃金」を保証する義務が生じてきます。


    『理念』の共通理解が「雇い主と従業員」の間で大切で、一致協力して目的に向かい商店を『経営』できるのが理想ですが、家族・血縁でない分、ここでは言葉による意志の疎通が重要な要素になってきますね。


    ここで互いに一方通行にならず、対等に相手側の意見に耳を傾けることができたら『人』しても一人前なんですが、こうならないケースが多くなってしまいます。


    そうすると『人』として、『個人』がどこまで成長できてるかが要(かなめ)だと解りますね。


    それがひいては、『工場性機械工業における経営者と従業員』の関係、『政治家と市民』の関係、『国王と国民』の関係、『先生と生徒』の関係 等においても同じだと思っていただけますか?


    『人間』としていかに成長できているか。それが『経営』においても重要なポイントであることを、自分のことは棚に上げて『大風呂敷』を広げてみました。

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    2013.02.28 Thursday

    第16話

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       「この存在する私という生命」について


      どう考えるか。いやいや、考えるというより認識していくか、かが重要です。


      「我思うがゆえ、我あり」と高らかに宣言した近代自我の世界。近代西洋思想の大前提のように振舞っているこのセリフですが、「我なくしても、世界ありは、解り切ったこと」と私は解釈しています。


      日本の「漢字」の世界では、「自然」とは「自・おのずから、然・しからしむ」と書きますが、「そうなっているんだから、そうなっているんだよ」の意になりますね。


      つまり「自然」は「勝手にそうなってるんだからぁ」と突き放しているのです。「我」がどうこう思おうと、この世はつまり自然は、我がどうこう思おうと、存在していることが解ります。日本人はそれを言葉ひとつ例にしても身近に感じていた人種であります。


      なにもここで「日本人」論をぶつつもりはありません。民族意識を煽ることも好きではありません。ただし「自然」という文字が「中国大陸」から「朝鮮半島」経由で「日本」にもたらされた事実は大きく、言葉の世界感を共有している東洋の思想は大きいと感じています。


      しかし、西洋と東洋の比較し、どちらが優れているかと議論するのは意味がありません。人類共通の智慧として共有することができればと願っているのです。


      「自然」という言葉が示す「価値観」「認識論」そして「真理」。そういう文化を持つ漢字文化圏に生まれた幸せを感じることがあります。


      たとえば、漢字文化の最高峰・中国の古典書に「四書五経」があるでしょう。。「四書」は『大学だいがく』『中庸ちゅうよう』『論語ろんご』『孟子もうし』。「五経」は『易経えききょう』『詩経しきょう』『書経しょきょう』『礼記らいき』『春秋しゅんじゅう』ですが、私は『易経えききょう』に関心があります。


      占いの書と言ってしまえばそれだけですが、宇宙のリズムと人間の関係を解明し、宇宙の運行によって人間に災いが起こるのであれば、それを最小限度に抑えてくれる理がここに書かれています。だから古代の国王は、占いによって国を治めたのでしょう。人民の災難を避けたいがためです。


      (「易」を「チャンスオペレーション」と呼び、現代音楽に取り得れた作曲家ジョン・ケージのことをかつてはピンときませんでしたが、最近はすごい目利きだった、と関心しています。音楽は難解すぎるけど・・・)


      「四書五経」は、儒教からアプローチした古典書ですが、他に古典医学の世界の古典『神農本草経』『傷寒・金匱雑病論』『黄帝内経・素問 霊枢』など重要な経典が中国大陸にあります。


      また古代インド発に数々の仏教経典も存在しますし、バラモン教はじめインド発の経典は「ウパニシャッド」などなど多数存在しています。


      それらは、中国大陸を経由して来たので漢文もしくはカナ文字まじりの「読み下し文」として現在でも入手可能です。それら東洋の知のレベルは西洋の知を凌駕してるとも断じることも可能ですが、先に書いたように比較は意味がなく、人類の知的文化財としてこの今何を採用するかが問われています。


      そのときに「真理」に通じているかが鍵だと思います。(この「真理」の解釈でまたまた もめることになったら修復不可能。ときに「真理a」と「真理b」がぶつかり戦争にまで発展するからです。)


      ここで採用する、この世の「真理」とは、「春になれば命が芽生え」「朝になれば東から太陽が昇る」と思ってください。それは西洋・東洋・北半球・南半球、共通の真理ですよね。


      原子力発電はじめ遺伝子操作 またはお金中心の市場経済理論など、西洋発の発見・発明が息詰まっている感があります。人間を生かすはずの理論が人間を殺しています。


      もっと人を生かす、あらゆる生き物を生かす、生命の原理に添った「真理に沿った哲学」を持ち直す必要があると思うのです。


      風呂敷が広がり過ぎたか・・・荒唐無稽かな。


      ちっちゃな人間本位の思想・主義から離れ、宇宙・自然界のリズムに添う「道」を歩む、そんな私たち人類であったら「私」という存在も全体の中で生かされ、真の幸福に辿りつけるのではないか、と思うのです。


      答えはすでに手にしている人類であると、古典は教えてくれています。

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      2013.01.29 Tuesday

      第15話

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        架空楽器店「サンクリストバルデラスカサス」の場所と併設カフェの内容もおおかた決まってきました。

        お店をつくるうえ、楽器以外ほかに必要なアイテムはおいおいアップしていくとして、なにか不足はないかと見渡してみると、よくホームページトップで見られる「会社概要」「理念」が掲げられていないことに気が付ました。


        この文章自体偏っていますので、今さら「理念」もないだろう、と思いましたが、考えてみるのも悪かなかろうとつれづれ記すことにしました。


        冒頭にあげてるようにこのお店の心臓部は「詩」であり「詩想」の大切さを、全面に押し出しています。


        「詩想」と「思想」は相容れぬところもあり、私は「芸術・創造」が「理念・思想」を凌駕すると信じきっている者です。


        とはいえ、「思想」を切って捨てていいかと問えば、そうではあらず諸問題を解き、深めて行くのに重要な要素であります。かといって、「思想」や「哲学」を語る上での「知識」も「歴史」自体も認識不足しているのは、本人が一番自覚してるので安易に語れないのが本音です。


        そう言った「思想」「哲学」の専門用語は不足してはいますが、「真理」を語ろうとする中で「哲学」や「思想」の専門用語が必要で生まれたと仮定すれば、なにも専門家でなくても、勝手に語ってしまっても咎められることはないでしょう。そう、仮定して勝手にしゃべってしまいます。支離滅裂でもいいや。


        多くの場合、「思想」「哲学」を述べる時。西洋哲学・西洋思想をベースとして展開します。事実そこから導きだされた「近代自我」を抜きにして話を進めるのは困難ですが、なにも西洋だけが世界じゃない、と開き直って話を組み立てることにして、東洋も西洋も南も北も越えたところの話がしてみたいと大風呂敷を広げて見ます。

         

        我々人類が、いや生き物が存在するこの地球。ひとつの丸い惑星ですが、宇宙の奇跡のように太陽からの距離が絶妙で太陽の熱で焼け焦げることもなく、また熱が届かず冷えすぎることも無い距離に位置しています。


        地球の内部は今だ灼熱のマントルが渦巻いていますが、地表は長い長い年月によって冷えて、現在はその7割が水に覆われています。残りのプレートに乗っかって生活しているのが私でありアナタですね。


        そのプレートに勝手に線を引いて「わが国」と呼んで威張っているのが人間で、ほかの生物は国境よりも環境に応じて生存しています。


        その威張っている人間ですが、この地球についてすべて知っているとは到底言えません。


        この地球が存在する太陽系のことは、この地球のことよりもっと解らないし、太陽系が存在するという銀河系のことはもっともっと解らないのです。


        銀河系の外になにがあるのか、多くの学者は銀河系のような渦巻きグルグルが数え切れないほど存在してると言うでしょう。


        「数え切れない」とは、どう言う意味を成している「言葉」なのでしょう。


        「星の数ほど」と喩える、と言っても肉眼で確認できるものは、数えてしまいますね。そうじゃなくてコンピューターを駆使しても「数え切れない」数字が存在しているのが「宇宙」とひと括りにして、無理やり納得しているのが「科学」の世界であると私は考えています。


        それを越えているのが、「実在」の私が生きている「ここ」であります。


        「 」付きの文章は読みずらいかも知れませんね。すみません。「 」を付けないと視覚的に頭の隅に残らないので、こうさせてもらいます。


        「ここ」宇宙の片隅(中心と呼んだほうがカッコいいか)にいる私は、考えます。「ここ」からはるか彼方に果てはあるのか?果てがあったとして、その向こうは何があるのか?
        また「ここ」がいつ生まれたのか?どれくらいの「時」が必要だったのか?そしてこの後、どれくらいの「時」が流れていくのか?「はじめと終わり」その問いが脳裏を離れません。


        この?は、ずっと人類のテーマだったでしょう。「文明」とよばれる人間の智恵の集積はその問いに取り組んできました。「時」と「空間」が人類が抱えている命題です。またそれを認識する私の「生命」は、宇宙の「生命」はどうなっているのか?


        私は「この存在する私という意識」以前に「この存在する私という生命」が重要なファクターだと感じているのです。


        次回また続きで考えてみます。

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        2012.12.28 Friday

        第14話

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           カフェのメニューを考えるのは、楽しいですね。


          さて、昨今はコーヒーが美味しいのは当たり前になって来ていますので、ここではコーヒーについてうんちくなどコメントは、よしましょう。
          コーヒー通を唸らせるほどのコーヒーはそう簡単に入れられるものではありません。


          私の友人が美味しいコーヒーを出しているお店「カフェ500」をしているので、コーヒーは彼に任せるとして、オーナーはメニュー作りを考えることにしましょう。(架空のお店なので兼任してもらいましょう。、了解を得た上 指名しました。)


          架空楽器店「サン・クリストバル・デ・ラス・カサス」に、お客様がはるばるやって来てくださったので、長旅の疲れをカフェで癒してもらうためにも美味しい料理をお出ししたいところです。


          もちろん店内で充実した時を過ごしてもらいたいので、お店の品はさらに吟味する必要がありますが、ここでは、お料理について展開してみます。


          私は、特別『味』にうるさい方ではありませんが、『安心な食』については一家言あります。


          食は私達「人間」の生命を維持する大切なものです。生命を維持するということはつまり、生命を脅かすものを避ける、摂取しない、といことに繋がっていきます。つまり生命を汚す食物を身体に取り入れないことを意味しますが、それを吟味していくとよく言う「オーガニックな食品」に伝播していくのは必然でしょう。


          「オーガニックな食品」とは「3年以上農薬、化学肥料を使用していない農場で栽培され収穫されたもの」「オーガニックの条件をみたした原料で、添加物などを使わずにつくられた加工品」「畜産物はオーガニック農産物の飼料によって飼育され、抗生物質、ホルモン剤を使用していないもの」「栽培、加工、流通などすべての段階で、認証機関などの第三者が厳しくチェックしたもの」を指し、また、農薬、抗生物質、成長ホルモン、合成添加物、保存料を使用せずに栽培または加工されたもので、そのために人体に有毒なものを含まず、安心して食べられる食品で自然の生態系を尊重した農法を取り得れたものを意味します。


          少し小難しいですが、つまり安心して口に入れられるものが好ましいですね。


          『食』は人を形成します。もっといえば元々食材は生命あったもので、それを私の身体に取り入れることで、私の生命が生きることができるのです。


          それが健全でなければ、私にとって不健康に繋がる訳で、化学調合したサプリメントでは、生命にとって嬉しいことではありません。サプリメントでは生命が無いからです。


          生命あるものを訳あって殺し、それを自らの生命に取り込むのが『食』の基本だと思います。だから食前に「(生命を)いただきます」と口にして感謝を捧げるのです。



          さぁ、メニュー、メニュー、お料理、お料理。


          和食が基本かな。それでいて洋食もあったほうがいいなぁ。私は洋食好きです。とくにトマト味、チーズ味は好きですねぇ。カレーの類は「ベジタリアン」のレパートリーでもあるので外せませんが、とにかく季節の野菜中心のお料理をお出ししたいです。


          しかしながらよくある「ベジタリアン料理」でありません。お肉も出したいと考えています。
          お肉もお砂糖も使用を許可します。


          あえてこう書くのは、「オーガニック料理」の発展系に「マクロビオティック料理」があるからですが、「正食」とか英語の「Macrobiotic food」と呼ばれている調理では、玄米を中心に据え、動物性のお肉や白いお砂糖を使わないからです。


          それはそれでいいとして、私はケースによってそうした素材も大切だと考えています。


          この理は中国古典医学からの引用ですが、身体の状態「陰陽虚実」を明らかにすると、時に「お肉」も必要なのが解ります。例えば身体が弱って、内側から冷え切っている人には、お肉(正確にはお肉を使ったスープ)が温めてくれて身体に元気をつけてくれます。


          反対に元気な人が過剰にお肉を摂取すれば身体を損ねます。


          お砂糖も白く精製したものは避けますが、「きび砂糖」「てんさい糖」「黒 砂糖」などは疲れているときなどには、元気をつけてくれます。


          反対に元気な人には、さらに熱を加えることになるのでオーバーヒートさせマイナスの作用となります。


          「オーガニック料理」の定番の「玄米」ですが、これも万能ではありません。合う人、合わない人がいます。
          身体が弱り冷えている人には、「玄米」は有効ですが、筋肉質で元気のある人にはオーバーヒートさせマイナスの作用となります。


          ここで注意したいのが、「冷え」です。「私は冷え性」と語る方でも、身体の中は冷えてなくて熱が籠っていて血液がドロドロ状のゆえ、末端の血管に血液が流れ難くなり、結果「冷え」の症状が現れることがある、と云う事です。


          その場合では、「冷え」を取るのではなく、「熱」を取らなくてはなりません。


          玄米は身体に熱を与えることになるので、それを「冷え」と勘違いして摂取するとさらに熱を与えてしまい、逆効果です。玄米は元気も与えてくれますから、便秘の方(熱性の便秘)は一時昂ぶり排便がよくなることがありますが、続ける熱に熱を加えているので大便が固くなり出にくくなります。


          また親が冷え性でも子供は陽の証(熱性)ですので、親子共、玄米を食することは子供の生命にとって困った問題を招く心配があります。


          過信して食さない方が無難です。


          その点からカフェのメニューには「玄米」を積極的に取り入れませんが、これはこれで美味しいので、バランスをとった調理で、季節のお野菜を中心としたお料理を考えてみたいです。


          詳しいメニューは開店時にお披露目しましょう。


          まずは、カフェの基本姿勢を書いてみました。

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          2012.11.28 Wednesday

          第13話

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            ここいらで外枠つまり建物を考えてみましょう。


            架空の楽器屋ですので、建物のテナント料や建設費は無視していいのが、嬉しいですね。
            たいがいこいつで断念してしまうから、勝手に想像が膨らめます。


            店舗の位置をどこにするか。ここからスタートですが、街中より郊外が好きですので乗り物で来てもらうのが前提です。お客さんが来ないことには商売として成立しないでしょうから、あまり山の中という訳にもいきません。


            かと言って都市部近郊の自然は失われていますので、少し離れる必要があります。その距離と時間が、自然豊かな空間と気持ちの開放感を与えてくれますし、お店の空間もその方がゆとりを持って作ることができます。


            首都圏から高速道路で2〜3時間くらい自動車で飛ばしてきたら着くのが理想でしょうか。信州は山並みが美しく空気が乾燥していて楽器にも適しているので、長野県としましょう。候補地は、八ヶ岳山麓とか安曇野がいいかなぁ。


            しかし場所は決定しないで候補として置きましょう。あくまで架空楽器店ですから、場所は限定しない方がいいでしょう。


            さて、お店ですが「建物」を建てる。建築する。という方法があります。美術館級の発注なら大物の建築家が日本にはいくらもいます。世界的な映画監督と建築家は、Maid in JAPANの売りですね。


            小さなお店が希望なので、大げさな建築はいりません。公共建築のスタジアムや空港・美術館が得意な大物建築家さんには失礼してもらって、住宅設計の売れっ子「中村好文」や奇抜で民族的な建築の「藤森 照信」にお願いしてみましょうか。


            東美濃では中村好文氏が手掛けた瑞浪市の「瑞浪芸術館」や地方のギャラリーとして成功している「ギャルリ百草」があって(建物は移築の民家ですが、カフェが氏のデザインです。)、中村氏の力量がよく解りお願いしたいところですが、好文ちゃんばっかしモテてもほかの建築家が泣きますね。

            (それでも中村好文氏設計の千葉の「as it is」は魅力的で参考にさせてもらいます。)


            藤森 照信氏の建築はブログ「古いギターはいい音がするのさ」に取り上げているので、そっちを参照してもらいましょう。赤瀬川源平の「にらハウス」とか養老孟司昆虫館 とかいいですものね。


            彼らの建築は「質」が高いですが、「彼らの作品に住まう」のはちょっと違和感があるので、新しく建てるのではなく貸家を探すこととしましょう。古い物件が好きですがここでは古民家ではなく、大正から昭初期に建てられた物件がいいと思っています。


            先の「ギャルリ百草」は、茶室が付いているお医者さんの持っていた大正から昭和初期の建築だと聞いたことがあります。茶室の床の間に松の節が入った板があって、そこから「百草」と名づけたとも聞きます。ちなみに「松」の別称が「ももぐさ・百草」です。


            お医者さんの「おうち」か、いいですね。


            そうだ!「医院」がいい!それにしましょう。


            大正から昭和初期に建てられた木造の「医院」。
            壁は白いペンキが塗り重なれていて、ところどころは剥げて下の色が見えている。屋根は瓦だが、建築様式は洋風で床はタイル張り。


            診察室の聴診器や診察用具が入っていたガラス張りのケースはそのまま残して展示用什器として使い、待合室には大きなソファが置いてある。壁にギターを掛けられる様にストラップをつけて、低い棚を巡らせます。すっきりの展示スペースとして、モノをひとつずつ時間をかけて吟味してもらいましょう。


            和式のトイレだけは洋式に直すとして、調薬室はギターアンプで音を出せるようにスタジオ風に改造しましょう。電気は裸電球に白っぽいガラスのシェードがのっています。


            わざわざ来て頂いたお客様に一服してもらうため、カフェも併設しましょうか。


            こんなイメージはどこから来たのか考えてみると、彫刻家の「船越桂」のアトリエが影響しているかな。
            氏のアトリエは、古い床屋を改造したもので、いかにも床屋さんってところが、却って作家のイメージを膨らましてくれそうだからです。


            それともうひとつ、「隣のトトロ」でさつきやメイが引っ越してきた「おうち」のイメージもどこか混ざっているかも知れません。


            「宮崎駿」の世界には、近未来と大正ロマン的なものが混同したイメージがあります。そこにノスタルジーと共感を呼び起こしているかも知れません。


            話がズレてしまいますが、船越桂さんと宮崎駿さんは、すばらしいアーティストであると認めたうえで、一言。


            宮崎駿さんの初期のアニメ「パンダコパンダ」や「アルプスの少女ハイジ」と、後の作品を比較すると、ところどころに「おどおどろしい」場面が現れています。また船越桂さんの彫刻作品も初期に比べると、最近は人体から異物が生えている作品など「おどおどろしく」観えると感じています。


            この「おどおどろしい」は、現代の美術のキーワードになっています。美醜の別をつけるとすれば、「醜い」姿を良しとしているところが「現代性ある美術」となる訳です。


            私は先生から、芸術を「善悪・美醜・真贋」で見る見方を教わりました。それを自分なりに調べて行くとそこに仏教の世界観があることに気が付きました。


            「縁起」の法における「三善根」がそれです。「三善根」とは、無貪(むとん・貪らない)無瞋(むしん・いからない)無癡(むち・愚かでない)とのことですが、そこから「善悪・美醜・真贋」が導き出せ、それ外れることは、「毒」に通ずると私は解釈しました。


            現代の芸術は、第一次世界大戦後、荒廃したヨーロッパに生まれたシュールレアリズムやダダイズムから派生したと言われています。それまでの芸術は、戦争を超えられなかったとの思いが、その手の芸術活動を生み出しました。


            それはそれで意味あることですが、「美」に対して「醜」の概念を立てたことが不幸であったと私は思っています。


            「醜」なる芸術は、最後には人間の魂魄を汚してしまいます。それはさらに魂魄の荒廃を呼び、人類の終焉を早める結果になってしまうと私は危惧します。


            先の芸術家は、すばらしい魂の持ち主ゆえ、そこに落ちることなく作品を作って戴きたいと切に願っています。


            話が逸れました。郊外にある楽器屋「サン・クリストバル・デ・ラス・カサス」に戻しましょう。

            カフェを併設するので、どんなメニューにしようか。考えてみます。

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            2012.10.30 Tuesday

            第12話

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               さて、店内にはもっと日常使いの器も置きたいですね。


              それには、現代作家でしょう。物故作家は値段が吊りあがっていますからね。


              それでも荒川豊蔵と加藤唐九郎は、比較しながら展示したら面白いだろうなぁ。私は瀬戸物の瀬戸の隣町で育ったので唐九郎は、なんとなくひいきでした。名古屋市守山に工房もあり、子供心にも存在感のある方でした。(漫画「美味んぼ」に出てくる悠山の師匠・唐山陶人は、彼がモデルと思われます。)


              荒川豊蔵は、岐阜県東美濃地方に住み始めてから知った作家で、お弟子さんも知っています。少し勉強すると日本近代陶芸史が読み解けて、深く知りたくなる人と解りました。ビッグネームだったのを、知らなかったのです。


              私にとってずっと「荒川」と言えば「修作」と来てまして、名古屋市出身の現代美術家を指していました。この方もビッグネームですが、一般的には「豊蔵」に知名度の軍配が上がると思います。


              「修作」氏は岐阜県養老町にテーマパーク「養老天命反転地」を建設して、少しは知れたかも知れません。ねじれた空間を演出しています。(実際は小難しい理論のコンセプチュアル・アートでしたので、すぐれた芸術家だったか疑問です。反論もできないくらいの難解な作品が凄い!とでも言っておきましょうか。)


              一方の「豊蔵」は、桃山時代の「志野」茶碗を復活させています。唐九郎も「志野」茶碗を焼いていますので、ライバル二人の比較はいい企画だと思いますが、いち楽器屋が手掛けるにはちょっと風呂敷が大きすぎるかも知れません。


              さてさて話を戻して現代作家。


              木の器なら「三谷龍二」さん。漆の器なら「赤木明登」さん。焼き物の器なら「内田鋼一」さんは外せないですね。売れっ子で、名のあるギャラリーでは、かならず名前のあがる作家です。


              それでもここに上げるのは、私が多くの作家を知らない不勉強があるにしても、そのパイオニア性・実力(技術の引き出しの多さ、形のうつくしさ、使いやすさ)・提案力は抜きん出ています。


              「三谷龍二」さんは、これまで白木の器がテーブルにあがることのなかった日本の家庭に新風を吹き込みました。今では「三谷」チルドレンがたくさん存在します。彼が発表した山桜やクルミの器は、オリーブオイルが塗ってあるだけの白木状態です。日本ではこれに漆をかけるのが一般的でした。西欧ではパン皿にこういうモノがありましたが、日本ではあまり馴染みがないかも知れません。この器の出現で食卓にかろやかさが生まれました。


              「赤木明登」さんは、「塗師」で漆の器の上塗りをする職人さんです。ただ、経歴が普ではありません。国立大の哲学科出身で「家庭画報」の記者を経て職人となった、いわばインテリです。「赤木」さんの器の特徴は、漆塗り器のピカピカ仕上げの真逆にあります。マットな質感・わざと下地に張った和紙の凹凸感、そこが新しいのです。


              「赤木」さんには先達がいます。「角偉三郎」さんです。豪快な器の「合鹿椀」が有名ですが、漆のあらゆる技法をマスターしたのにそれを捨て、手で漆を塗ったり、へいだ板に漆を塗りたくった荒々しい器を製作しました。「赤木」さんはその道にさらに上塗りを重ねつつあります。


              「内田鋼一」さんは、この中でもっとも若い方ですが、厚い陶芸家人口の中で早いうちから抜きん出ていました。世界の焼き物の現場を見てきた人で「無国籍風」の焼き物が特徴です。焼き物はいろんなスタイルが確立していますので、その道のプロまたは後継者がおられます。そこに現代性を併せ持つ独自のスタイルを確立するのは至難の技ですが、時々「内田」さんのようにいとも簡単に(見える)越える方が出現されるのですね。


              「内田」さんと似たタイプの先達としては、「鯉江良二」氏がおられます。山伏のような風貌で大量の焼き物を作り、また現代美術の世界にも焼き物で乗り込むスタイルは「内田」さんにも現れつつあります。
              同じ匂いを感じますね。ワールドワイズな広がりを見せて行くでしょう。



              3人の違った素材の器の作家を紹介しましたが、ここに共通する点があると私は感じています。それはマチェールに気をくばっている点です。


              マチェールとは、「固有の物質的な材質感。また絵画や彫刻作品そのものの表面の質感を指す」言葉ですが、彼らの器に近づいていくと「表面」の存在感の強さに気づきます。もちろんシルエットは重要ですが、「表面」の「質感」が際立っているのです。


              昔から職人は「腕の見せどころ」として、手仕事とは思えないほどの「完璧な仕上げ」を競いました。結果ピカピカな表面になって行きます。そこに工業化が進んで行くと同じく大量なピカピカな仕上げの商品が溢れ出し、両者の違いは、表面上似通ったものになって来ました。(素材は大きく違います。自然素材と化学製品の違い)


              工芸と呼ばれる世界にもピカピカのいい作品はあります。ピカピカで高級感漂う作品は、成熟した大人の雰囲気を醸し出します。ただ、ここまで工業化が進みデザイン性も重視した手ごろな商品が溢れてくると、暮らしに人の手の温もりを求める方が、増えてくるのを感じます。


              アンティーク・骨董を暮らしに取り入れるのは、時間経過とともにモノが変化し成長するのを自然と捉える現れ、と見ることも可能でしょう。


              3人の作家は、その現代性をいち早く形にした作家とも云えます。


              振り返ってギター。
              ヴィンテージ・ギターはその音の良さが魅力ですが、背後に「楽器の存在感を味わう」気持ちが動いているように感じています。レリック仕上げもそうした心理があるでしょうね。


              新品のピカピカのギターにいいモノもありますが、工業製品の枠を抜け切れないです。それでいいところもありますが、私としては好きになれません。


              ギターも「マチェール」が大切ですよ。私の楽器屋に「器」を並べるのは、そんな意図もあるのです。

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              2012.09.30 Sunday

              第11話

              0


                あれは30代前半、すでに田舎に引っ越してはいたものの、街へは時々訪れていました。


                名古屋市の伏見。この街は画廊や美術館があり繁華街の栄からすぐなので若いときからよく訪れていました。


                20代は現代美術を扱うギャラリー巡りをしていましたが、(伝説の桜画廊があった)30代はそれより骨董屋に興味が移っていました。


                そう。通りに面したウインドウに飾ってある「白磁の壺」が目的です。


                明るくない室内からうっすらと浮かび上がる白い肌。腰はどっしりと太く、肩はまるく内から膨らんだシルエット。コウダイは見えるか見えないかぎりぎりの線。あぁ、それを見たさに何度も店の前を行ったり来たり。


                朝鮮半島を統一した「季氏朝鮮」時代に花開いた白磁のやきものは、そのおおらかな姿と時として凛としたたたずまいを併せ持つ「焼き物」として古くから日本人をも魅了して来ました。


                店主の私もずっとぞっこんで、いつかは所有したい品ですが、なんせ本物はお高い。よって店頭でウインドウショッピングするのが、せいぜいです。


                利休以前「お茶」の世界に村田 珠光が現れて「侘び茶」を確立していきます。そこにおいて李氏朝鮮前期のお茶碗が珍重されはじめます。


                井戸・粉引(こひき)・堅手(かたで) 味わい深い景色が「侘び茶」に合いますね。


                ところで店主が朝鮮半島のやきものに興味を持ったのは、珠光や利休のお茶の世界からではなく、民藝運動の指導者 柳宗悦からです。仕事柄 木工品から入っていきましたが、徐々にやきものにもこころ惹かれていきます。中でも「壺」のバリエーションは多く、いろいろ楽しめます。


                その「いろいろ」なやきものを大正時代に朝鮮に渡り住み込んで、研究した日本人の兄弟がいました。


                浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ) 兄弟です。彼等がいなかったら、「いろいろ」な朝鮮半島の美を我々は知らなかったかも知れません。


                民藝の柳に逢う「手土産」に「染付秋草面取壺」を持参しました。そこから始まったといっても過言でない、と思います。その美しさに惹かれた柳は、すぐさま「李氏朝鮮」時代の「やきもの」の紹介に取り組みます。


                10話に書いた富元憲吉も濱田庄治も河合寛二郎もその影響下といえるでしょう。浅川兄弟の遺産は珠光・利休以後のもっとも大きな事件ではないかと推測します。


                朝鮮半島の「白」は中国の「白」とは違います。ルーツは中国ですが、中国の「白磁」は完璧な「白」で、汚れ・しみ・傷などまったくない完璧で完全な対照形の「白い磁器」です。


                それに対し朝鮮半島の「白磁」は少々の汚れ・しみもあり形のひずみもあります。その完璧でない「白」とひずみのある「形」が日本人が好んだのは「なぜなのか」いろんな説があるでしょうが、店主もこの「白」と「形」が好きです。


                「ほっと」するんですね。


                空間がほのかに温かみを帯びて安堵感が生まれます。
                だから手にいれたくなるです。


                数はいりません。数点の「李朝」の白い壺を店内に置いて季節の野草を投げ入れ、架空楽器店「サン・クリストバル・デ・ラス・カサス」を温かい場所にしたいですね。

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                2012.08.30 Thursday

                第10話

                0

                   

                  日本人ぐらい「焼き物」好き「うつわ」好きの国民はいないんじゃないかと思います。


                  「陶芸家」と言う個人作家が存在できるのは、世界中で日本くらいと聞いたことがあります。「窯元」と呼ばれる焼き物を集団でつくるシステムは、昔から確立して来ましたが、近代に入ると重要無形文化財いわゆる人間国宝第一号に認定された「富本 憲吉」にはじまる個人作家が現れて来ます。


                  「わざ」の伝統・継承目的以外に個人のすぐれた技能・感性がその分野を牽引する力と認められての認定でもあると思います。


                  伝統の「もの」でありながら、たえず現代性を帯びた「もの」であるゆえ日常で使われ続ける理由でもあるでしょう。


                  また「茶道」の文化がその側面から支えている点も見逃せられません。


                  私は茶道の門外漢であるので詳しくは知りませんが、わび茶の「村田珠光」より始まり「利休」によって完成された「茶道」はその後数々の流派を生みながら日本文化の基準軸を形成していきます。お茶文化は、「和菓子」につながり「生け花」にながり「庭」につながり「建築」につながり「書」につながり「やきもの」等々につながる総合芸術とも呼べます。


                  しかし近代には、その家元制などで形骸化し「民藝運動」の「柳宗悦」が出てくるまで停滞したのではないかと想像します。


                  柳は利休のように、つぎつぎと「見立て」し、古くて新しい品を発掘して行きます。それはもう茶室を飛び出て日本中を歩き回り、近代の荒波に流されようとしている地方の「民衆的工藝」に価値を与えるものでした。


                  先の「富元憲吉」も柳の支持者でしたし、ほかに「河井寛次郎」「濱田庄司」英国人の「バーナード・リーチ」も周りにいました。店主のフェイバリット作家は、バーナード・リーチで日本的とも英国的とも言える作風がコスモポリタン的で大好きです。日本人が現代の英国人作家「ルーシー・リー」が好きな理由もそこにあるのでは?と私は思っています。


                  高度経済成長に入るとメディアの力も大きくなり、最近まで「白洲正子 好み」などなるものも存在していました。白洲正子による文筆活動の成果です。「芸術新潮」「家庭画報」でひんぱんに見かけたものです。かくゆう私もその影響下にある者です。


                  白洲正子によって「民藝」も「骨董」も好きになった口ですからね、好みが偏っているかも知れません。あるいはその影響力は彼女が亡くなった後も現存して「見立て」に現れていると思います。


                  「見立て」とは「物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見る」 転用のことを指します。


                  戦国時代どの武将も憧れた「井戸茶碗」などは、朝鮮半島の飯碗で雑器だったのですから「見立て」は天地をひっくり返します。モノは、はまると化けるのですね。そこが利休の眼の凄さです。


                  「一井戸、二萩、三唐津」にしてもどれも渋いですからねぇ。


                  それを白洲は、ミルク用ピッチャーを水差しにし、「ほとけさま」とだけ書いてあるひらがなの熊谷守一の書を掛け軸にと、明るさと軽さを普段の生活に取り入れました。ある意味「利休」と「柳」の呪縛を解いたのです。


                  ただし、青山二郎の弟子ですから、柳の影響は大でしょうが。(初期の民藝運動に参加していた。)(青山二郎はまた小林秀雄のライバルでもありました。小林秀雄は中原中也と女優の長谷川泰子を取りあった人でもあるので、小林秀雄はライバルからエネルギーをもらっていたんですね。)


                  話が少しそれました。さて、「焼き物」を鑑賞するのに眼が必要だと感じてもらえたでしょうか?
                  「私はそれを持ってる」とは、ぜんぜん思えませんが何かを感じることはできます。
                  感じることに関して、朝鮮半島で1400年くらいから栄えた「季氏朝鮮」時代の焼き物の話をします。


                  白磁の壺です。

                  つづく。
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                  2012.07.25 Wednesday

                  第9話

                  0


                     本棚に詩集が入って来ましたら、他にも人文系の本を棚に並べていきます。ネットの世界でネットサーフィンするかのごとく一冊の本からリンク・リンクで構築される棚を形成するのです。


                    「棚作り」と呼びますが、店主が一番影響を受けた棚作りは、バブル絶頂期、東京池袋の西武百貨店の最上階、西部美術館の隣にあった「アールビヴァン」です。


                    平積みされた新刊単行本のジャングルと棚にはポスト・モダンの建築関係の本の間に精神世界の本が混じり、ヴィトゲンシュタインの隣に寺山修司があり、現代詩手帳の隣に宝島別冊シリーズが置かれ、メイプルソープの写真集と平凡社の東洋文庫があり、工作舎、青土社、岩波文庫ときて、みすず書房も人文書院も農文協もあり、おまけに現代美術のアーティストの平面作品が壁に架かっていました。


                    あぁ。楽しい。何時間でもいられます。「サンクリストバル・ラ・サス・カサス」には新刊本も古書も雑誌も写真集も絵本も置きましょう。

                     


                    さて、それでもここは書店ではないですので、楽器屋らしく楽器が本領であります。そこに移ります。


                    まず楽器と言う言葉にこだわってみます。「楽器」とは、「楽しい器」と書きますね。<たのしい><うつわ>。


                    そうです。「たのしい・うつわ」ですので「うつわ」にこだわって見ましょう。「うつわ」について語らなくてはいけません。


                    「うつわ」とは何のことか。
                    外部と内部を分け隔てるもののこと。 いれもののこと。 仕切られた内部空間。


                    小さなものではお茶碗のことで、大きなものでは銀河系もそれに入るかも知れません。また、人の器量もそれですね。ここでは、「楽しいうつわ」と言うことで「演奏する楽器」と「食器」を取り上げてみます。


                    「食器」です。 毎度毎度の食事時にお世話になる「食器」。日本人の食器戸棚には、いろんな種類の器が数多く納められています。日本人くらい「器」好きの民族はいないのではないかと思いますよ。瀬戸物のお茶碗でご飯を食べ、木の挽きもののお椀でお味噌汁を飲み、焼き物の鉢・向付(むこうずけ)に酢のものを、四角皿に焼き魚を、蓋付きの鉢に茶碗蒸しを、それぞれ楽しみ。大鉢に芋の煮っ転がし や しゃきしゃきサラダを盛って、小皿に取り分け、目で味わい、舌で楽しむ日本人。感性が豊かじゃないとこうはいきません。


                    さまざまな器で食べることを楽しみながら、そこに芸術性を暗黙のうちに求めている、そう解釈してもいいかと思います。


                    器の大道は「焼きもの」と言えるでしょう。たかが「焼きもの」ひとつに「首」ひとつを賭け、「お城」ひとつを差し出して来た日本人。それは「もの」ですが、ただの「もの」ではない何かを感じて来たのです。


                    ここからは「焼きもの」の話に入って行きます。

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                    2012.06.28 Thursday

                    第8話

                    0

                       もう一人挙げるとすると、詩人でもありブルースマンでもある友部正人さんでしょう。


                      たくさんのレコード、CDを発表された歌手でもありますが、詩集も思潮社から出版されています。


                      18歳でURCレーベルのアルバム「にんじん」に出逢い、50になる現在まで新譜を聴き続けられる唯一のアーティストです。そう、アーティストと呼ぶの相応しい。


                      ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがアートの匂いがするように、友部さんの作品には知的な仕掛けがあってアートの匂いがします。


                      空間的には都会的。ただし東京なら新宿界隈またはニューヨーク・ソーホー的。時に函館や長崎をも感じるけれどコーヒーと本の匂いも付きまといます。


                      言葉と音楽、特にギター片手の弾き語りスタイルはずっと変わりません。


                      最初のインパクトが「にんじん」に収録されている「乾杯」、この曲は連合赤軍浅間山荘事件の一日を歌っているのですが、その事件への私的なアプローチが強烈な事件を第三者の目線で詩的に分解していて抜群です。


                      「乾杯」からの抜粋


                      電気屋の前に30人ぐらいの人だかり 割り込んでぼくもその中に
                      「連合赤軍5人逮捕 泰子さんは無事救出されました」
                      金メダルでもとったかのようなアナウンサー
                      かわいそうにと誰かが言い 殺してしまえとまた誰か
                      やり場のなかったヒューマニズムが今やっと電気屋の店先で花開く
                      いっぱい飲もうかと思っていつものやき鳥屋に
                      するとそこでもまた店の人たち
                      ニュースに気を取られて注文も取りにこない
                      お人好しの酔っぱらいこういう時に限ってしらふ
                      ついさっきは 
                      駅で腹を押さえて倒れていた労務者にはさわろうともしなかったくせに
                      泰子さんにだけはさわりたいらしい


                      ニュースが長かった2月28日をしめくくろうとしている
                      死んだ警官が気の毒です 犯人は人間じゃありませんって
                      でもぼく思うんだやつら ニュース解説者のように情にもろく 
                      やたら情にもろくなくてよかったって
                      どうして言えるんだい やつらが狂暴だって
                      新聞はうすぎたない涙を高く積み上げ 今や正義の立て役者
                      見だしだけでもってる週刊誌 
                      もっとでっかい活字はないものかと頭をかかえてる
                      整列して機動隊 胸に花をかざりワイセツな賛美歌を口ずさんでいる
                      裁判官は両手を椅子にまたがせ 今夜も法律の避妊手術
                      巻き返しをねらう評論家たち
                      明日の朝が勝負だとどこもかしこも電話は鳴りっぱなし
                      結局その日の終わりとりのこされたのは
                      朝から晩までポカーンと口を開けてテレビを見ていたぼくぐらいのもの


                      中略


                      誰かさんが誰かさんの鼻を切り落とす 
                      鼻は床の上でハナシイと言って泣く
                      誰かさんが誰かさんの耳を切り落とす 
                      耳はテーブルの上でミミシイと言って泣く
                      誰かさんが誰かさんの口を切り落とす 
                      口は他人のクツの上でクチオシイと言って泣く
                      ぼくは戸を横にあけて表に出たんだ するとそこには
                      耳も鼻も口もないきれいな人間たちが
                      右手にはし 左手に茶わんを持って 
                      新宿駅に向かって行進しているのを見た


                      おお せつなやポッポー 500円分に切符をくだせえ



                      店主はこの
                      「鼻は床の上でハナシイと言って泣く
                       耳はテーブルの上でミミシイと言って泣く」
                      という比喩表現に出逢い、初めて「詩」を意識しました。


                      谷川俊太郎も友部さんを高く評価している詩人の一人ですが、その詩のリズムは音楽的で似ている感じもあります。


                      谷川さんは詩人として生計を立てている日本唯一の詩人ですが、やはり処女詩集からして違います。
                      「二十億光年の孤独」・・・・処女詩集の題名ですが、これだけでもはや詩と呼べます。この題名をモチーフにした題目を数限りなくあるでしょう。


                      詩の題だけで詩を形成してしまう点では、友部さんも谷川級です。


                      ・地球のいちばんはげた場所
                      ・けらいのひとりもいない大様
                      ・びっこのポーの最後
                      ・まちは裸ですわりこんでいる
                      ・男は女である
                      ・わからない言葉で歌ってください
                      ・遠い国の日時計
                      ・朝は詩人
                      等々、いっぱいあります。


                      詩があるうえメロディーもある、こんなに素敵なことはありません。


                      長すぎてそらんじて歌えなかったりするのは愛嬌で、その詩はメロディと共に脳裏でリフレインしています。


                      最近メジャーレーベルからアルバムが出なくて自主レーベルが多いのが少し心配ですが、プロミュージシャンにも多大な影響を与え続けているアーティストとして、いつまでもアルバムを発表してもらい支持して行きたいです。


                      支持とは、つまりアルバムを買う、という行為のことです。

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